「立ち止まって考える」を読んだ

表題のヤマザキマリさんの本を読んだ。旅の中に生きているような彼女がコロナ禍で家族と離れ離れで日本に居た中で書かれたものだ。

今はイタリア在住だが世界各地で暮らしたことがある彼女が書いたもので、この本の中では主にイタリア人というかイタリアと日本人や日本の社会を見比べて書かれている。特にどちらにも批判的というわけではないが、コロナ禍のなかの日本の政府や政治家についてやんわりと批判している。書かれている内容はほとんど私も同意見だ。私より9歳下。近いと言えば近い年齢だからだろうか。

コロナ禍での決定の遅さ。責任を取らないように何も決めず何もやらずの姿勢。自分の言葉ではなく紙に書かれた文章を読む政治家たち。そしてその文章の内容の無さ。

感染があるところで抑えられたことを「ジャパンマジック」などとわけのわからないカタカナ言葉を並べて自慢し、大切なことを曖昧にして隠す日本の政治家。そしてそれをそのまま流すマスコミ。それに比べ、ヨーロッパ各国の指導者の言葉や、マスコミの姿勢。

彼女が言う事とてもよく分かりウンウンと頷きながら読んでいた。

たったひとつだけ異論を唱えなたことがある。昨今の歌謡界のグループ化だ。ヤマザキマリさんは「責任の分散」を理由に挙げていたが、私は「容姿の分散」だと思う。見る側の趣味は多様だから多様な容姿を48人ほど揃えておけば「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」ことになる。おまけに容姿が平均以下でも「俺だけ(私だけ)の推し」という分野に引っかかるわけだ。おまけに危うい姿のグラビアを見せたら引っかかる子供が居ないわけがない。男の子のグループもあるが女の子のグループの方が圧倒的に多い。女子であるヤマザキさんはそこを見落としたのかもしれない。あるいは興味もなかったか。

久しぶりのブログの更新だが、暇な時期に少し更新を続けようと思う。

#コロナ #コロナ禍 #反省

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