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野生生物への餌やり

最近は野生生物への餌やりがいけない事なのは常識になってきた。良いことである。

ただ、未だにアップデート出来ない人々も多い。

昨今はクマの出没が問題になっているが、あれは人が被害を受けるから問題にしているだけで、野生生物が健康被害を受けていても問題視しない。

小樽でもカモメへの餌やりが多数行われているが、表立った批判は起こっていない。

カモメは魚類や甲殻類が主食であり炭水化物をあまり消化できない。この事はあまり知られていないようだが、そんなこと以前に餌やりはカモメに影響を与えている。

実はカモメは全国的に減少傾向にあり、準絶滅危惧種と捉える動きもある。確かに小樽港のカモメも10年ほど前に比べてかなり減少しているように見えるが、このあたりの統計は探しても見つからない。

エサを求めて人がいる所から離れようとしない個体や、船が通るとエサを求めて船に寄る群れも居る。それについて何か言っても、「だって可愛いじゃない」のような答えしか返ってこない。

以下は「野生生物への餌やり」についてのAIの回答だ。たぶん間違いのない回答だと思う。機械でさえわかることを理解できないのはいかがなものか。

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野生生物へのエサやりは、野生動物の健康を害し、生態系のバランスを乱し、人と動物のトラブルを引き起こすため、絶対にやめましょう。動物は人間からエサをもらうことに依存し、自分で餌を探す能力が失われます。また、人間が与えるエサは添加物などで病気を招いたり、過剰に繁殖して生態系に悪影響を与えたりする可能性があります。さらに、エサやり場所周辺に動物が集まり、鳴き声やフン害など、周辺環境への被害も発生します。人と動物との適切な距離を保つことが、双方にとって大切です。

エサやりが引き起こす問題

  • 野生動物の健康被害:
    • 人間の食べ物に依存し、自力で餌をとる能力が失われる。
    • 添加物や栄養バランスが偏ったエサにより、病気にかかりやすくなる。
  • 生態系への悪影響:
    • 人間が与えるエサで特定の動物が増え、生態系のバランスが崩れる。
    • 過剰な繁殖によって、個体同士での感染症が広がるリスクがある。
  • 人とのトラブル:
    • エサをもらうことに慣れ、人間に近づきすぎることで、襲いかかるなどの問題行動を起こすようになる。
    • 人と動物のトラブルが起きると、最終的には駆除の対象となる場合がある。
  • 生活環境の悪化:
    • 特定の場所に野生動物が集まり、フンや鳴き声による被害が発生する。

私たちができること

  • 野生動物には、人為的なエサは必要ありません。自然のままの状態でそっと見守りましょう。
  • 生ゴミやペットの餌などを放置しないようにしましょう。これらが野生動物を誘う原因になります。

#小樽 #カモメ #餌やり #野生生物への餌やり #小樽観光船 #観光船 #準絶滅危惧種 #カモメの減少

顔つき、目つき

若い頃から人の動きや表情を観察する癖があったが、年を食うに従ってより中身が見えてくるようになってきた。

悪い顔つきに悪い目つき。中身が良い訳がないと思って見ていると、成る程と思う発言が口から出てくる。

そんなのがトップに立った政党。そんなのが日本のトップに立ったら日本はどうなるのだろうか。

ノーベル賞

今年はいまのところ2名の日本人科学者が選ばれている。嬉しいことだ。

さて、村上春樹がノーベル文学賞候補として毎年騒がれるが、私は毎年「なぜ?」という疑問符しか思い浮かばない。

候補者は各賞約300人くらいの人が選考される。4月頃には20人まで候補が絞り込まれる。集められた候補者は4月頃をめどに20人まで予備候補者として絞られる。そうして5月にはさらに5人まで絞られる。

だがここで重要なのは候補者は公表されないのである。何位とか報道されることがあるが、あれはブックメーカーが勝手に発表している賭け率であって、選考にあたっているアカデミーは何ら関与していない。

候補者は事後50年経つと公表される。おそらく当時の基準で本人が死んだであろう年数が経過してからということだろう。50年の経過を待つ前に関係者筋から本当らしい噂が漏れることもあるが真偽のほどは公開までわからない。

このように候補になっているか不明なものを毎年騒ぐのはどうなんだろうか。他には値する文学者は居ないのか。居ないのだろうな。

ウポポイがなぜ作られたかという疑問

ウポポイという国の施設が突然計画され作られた。北海道民として見ていても不自然な出来事だった。当時、札幌市議会議員が「アイヌはもういない」といった発言でつるし上げられたのは記憶に新しいが、実際北海道民でも存在を知らないどころか無視あるいはいまだに差別しているのは明らかな事実なのだ。

2007年9月13日に国連で採択された「先住民族の権利に関する国際連合宣言」がある。国際法上の法的拘束力はないが、先住民族に対する差別の禁止と先住民族の権利の明確な保持、そして彼ら自身が目指す経済・社会的開発の継続を促進することが明記されている。

この国連宣言をふまえ、2008年6月に「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」が衆議院および参議院において全会一致で採択されは。政府は同決議を受け「アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会」を設置。有識者懇談会は報告書をまとめ、2009年7月に公開した。ここで「民族共生の象徴となる空間の整備」の必要が議論されたことが、民族共生象徴空間という名称へと直接的につながっていく。

このような経緯から「民族共生の象徴となる空間」は必要とされることになった。アイヌ政策推進会議では、一部のアイヌの人々の意見を踏まえつつ、総合的かつ効果的なアイヌ政策の推進が目指されることが確認された。

2009年に公表された有識者懇談会の報告書では民族共生象徴空間について、「これらの施設及び空間は、本報告書のコンセプト全体を体現する扇の要となるものであり、我が国が、将来へ向けて、先住民族の尊厳を尊重し差別のない多様で豊かな文化を持つ活力ある社会を築いていくための象徴としての意味を持つものである」と記されている。

つまり、「先住民族の権利に関する国際連合宣言」という国際的な流れから「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」がなされ作られた施設であって、存在さえ無視され続けてきたアイヌ自身がアイヌ文化を守ろうという発想から生まれたものではない。

悲しいことに日本人どころか北海道民でもアイヌの存在を無視し続けている人は多い。古くは東北地方にまで居住地域が広がっていたアイヌ民族が戦国の世のころに次第に本州から追い出され、最終的には北海道の地さえも奪われた歴史はほとんど知られていないどころか無視され続けている。

本州アイヌ(wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E5%B7%9E%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%8C

「ウポポイはなぜ作られた」とググると「観光目的」いった意見が多いのも当然だ。私は対外的に恥ずかしくて作ったと思っている。

小樽の海鮮は高くて不味い

小樽在住なのであまり言いたくないが、小樽の海鮮は高くて不味い。

出てくるものはほぼ地場ではない。なぜなら小樽はマグロもサーモンもカニも上がらない。上がるカニはロシア産😂

地場の物は高くて呆れるほど。近隣の札幌から来た客が高くても払うようになって高騰し、旅行客がさらに高い金を払った結果バカみたいに高騰した。それでも市場で買って食べればまあまあ手ごろに食べられる。

私は昔も今も日本中の海鮮を現地で食べているが、どこにもないくらいに高くて不味い。

旅に出る前に近くの海に近い所で舌を磨いてから旅に出るべきだ。東京だって千葉や神奈川、静岡など美味しいところがたくさんある。こんなのを許していると日本中高くて不味いものが氾濫する。

嫌いな言葉

「スピード感」

東京都知事のオバサンが多発して一般的に使われるようになったが、スピード感を持って行うと言ったこと全てが遅々として進まなかった。

「スピード感」と「やっている感」は同義語だ。

「自己責任」

危険なことを行おうとする連中が口にする「自己責任」。自分で責任を取るから大丈夫と思って口にするのだろうが何も考えていない。

責任も取れないのに責任という言葉を使う。言っちゃ悪いが死ぬのは勝手だ。しかしその後の処理を行う人々には責任を持たない。

危険な状況で助けに行く方々。そんな中を死体を回収に行く方々。そんな方々の事など考えもしない無責任さ。

この世に「自己責任」で完結するものなどない。

近年のクマ問題

近年、人が住む領域にクマが出てきて問題を起こすことが多くなっている。

クマが増えすぎていることに加え、人があまりに無防備・無関心だからだ。クマが寄ってくる食べ物や食べ物のごみを平気で置く。仕事として農業を行う人は作物を食べられては困るので電気柵などで防御する。家庭菜園を行う人は金をかけて電気柵を設置することもなければ、近隣にクマが出てきても収穫してくることを防ごうともしない。食われても作物自体の被害は小さいからだ。そして増えすぎて居場所を無くしたクマが住宅地へ食料を求めて出てきて問題行動を起こす。

先日、北海道福島町で新聞配達員がクマに襲われて亡くなった。その前から町内にクマの出没が見られたにも関わらず、早朝の日が出る前に配達を行っていたためクマの発見が遅れて襲われた結果だ。まだ暗いうちに配達していたのは本人の希望だと報道されていたが、雇用者は被雇用者の安全を守る義務があるはずだ。本人が希望するから危険なことを容認していたという伝え方をするメディアを見ることはなかった。彼を殺したのはクマだが、クマに襲われる状況を作ったのは新聞配達所だ。

そういった問題行動を起こすクマの駆除に対して苦情の電話が多く、日常の業務に支障をきたしていることはよく耳にする。クマと聞いて熊のプーさんしか思い浮かばない連中に言いたい。クマに襲われると肉が千切れるほどの力で攻撃され内臓や肉を食べられるのだ。町の人々はその恐怖に震えながら日々暮らしている。どこかで問題になった発言にあるように「クマをお前の家に送ってやりたい」。あまりに現実を見ない典型的平和ボケ。そういった連中は戦争になって銃や大砲で攻め入られても「人を殺してはいけない」と自衛隊に非難の電話をするのだろう。

#クマ #熊 #福島町 #北海道新聞 #新聞配達員

やっぱここがいい

Facebookを使い始めてブログを使う頻度が極端に減った。やはり編集しやすいのと、読んだ人の反応が早いからかもしれない。

しかし、たいして知りもしないで反論してくる学者や、物知り顔の記者達に辟易していた。

これからは写真はInstagramに、文章はここに書いていこうと思う。

狭小住宅バブル

テレビなどで狭小住宅が取り上げられ、間取りでいかに工夫するかといった番組が出てくるほどとなった。「狭小住宅バブル」と言うらしい。ちょっと昔のバブル期にも地価高騰で仕方なく狭小住宅にする建て主が増えていたことを思い出す。

階数を増やし中二階などいろいろな工夫で少しでも広く住みやすそうな家をどう作るか、今も昔も似たようなことを考えているようだ。幸いにも地方では土地はまだ安いのでひょろひょろな薄っぺらい家にお目にかかることは少ない。

関係ない自分は「そんなものにとんでもない金をかけて借金するくらいなら、地方へ移住して普通の家に住みたい。」と考える。最近の都内ではまた数億の億ションが増えている。楽に払えるお金持ちなら何も言うことはないが、庶民が無理に背伸びして手を出すと無駄な人生を過ごすことになるだろう。

私が知っている狭小住宅は当時もテレビでも取り上げられ「こんな素晴らしい工夫をした家がある」と言われていたが、今は空き家になって2軒を1軒にして使われている。今見ると無駄な金をかけ時間をつぶした工夫だった。家というのは長い年月を過ごすもの。その時間の中で使い方使われ方が変わっていくものだ。

人は年齢を重ねると足が弱り2階へさえも足が遠のく。狭い階段で3階や4階へ登らないと生活できない家に住み続けられるのだろうか。子供も成長して巣立っていく。いろいろな趣味を持つことで物も増えていく。今は「すごいすごーい!」と住んでいても10年20年後にはお荷物になるような家なのでは?

そういえば昨夜の番組で、車庫の一方の壁を無くして、「これをコンチレバーと呼ぶ」とか言っていたが、私が知る限りそんな名称はない。昔から構造力学にはカンチレバー(cantilever)という片持ち梁構造があるが、いい加減な建築家に監修させた番組なんだろう。今どきの建築屋はほとんど構造力学を学ばずに学校を出ているのだから。そんないい加減な連中に煽られて家を建てると後悔するのは必至だ。

狭小住宅 #狭小住宅バブル #コンチレバーって笑える

「情報がない」

少し前から耳にするようになった「情報がない」というセリフ。多くは情報が有るのに拾えない人や、探そうともしない人だ。

災害で現地に入ることすら出来ない中で「現地の情報がない」と文句を付ける。

情報は有るのに探しもせず「情報がない」という連中。

1週間以上前から台風が通ると分かっている地域に入って「(台風が)来ると思わなかった」と言う奴ら。

またそんなのばかり拾って電波にのせるマスゴミ。

そんなのばかりのテレビや新聞。

知り合いの新聞記者が「新聞は事実を載せるもの」と言っていたが、「新聞は事実の中から選んで載せるもの」と訂正してほしい。一番大切なはずのものを取り溢してばかりだから。所詮情報は多くのゴミの中から自分で判断しながら集めるしかない。溢すなよバカ。