ウポポイがなぜ作られたかという疑問

ウポポイという国の施設が突然計画され作られた。北海道民として見ていても不自然な出来事だった。当時、札幌市議会議員が「アイヌはもういない」といった発言でつるし上げられたのは記憶に新しいが、実際北海道民でも存在を知らないどころか無視あるいはいまだに差別しているのは明らかな事実なのだ。

2007年9月13日に国連で採択された「先住民族の権利に関する国際連合宣言」がある。国際法上の法的拘束力はないが、先住民族に対する差別の禁止と先住民族の権利の明確な保持、そして彼ら自身が目指す経済・社会的開発の継続を促進することが明記されている。

この国連宣言をふまえ、2008年6月に「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」が衆議院および参議院において全会一致で採択されは。政府は同決議を受け「アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会」を設置。有識者懇談会は報告書をまとめ、2009年7月に公開した。ここで「民族共生の象徴となる空間の整備」の必要が議論されたことが、民族共生象徴空間という名称へと直接的につながっていく。

このような経緯から「民族共生の象徴となる空間」は必要とされることになった。アイヌ政策推進会議では、一部のアイヌの人々の意見を踏まえつつ、総合的かつ効果的なアイヌ政策の推進が目指されることが確認された。

2009年に公表された有識者懇談会の報告書では民族共生象徴空間について、「これらの施設及び空間は、本報告書のコンセプト全体を体現する扇の要となるものであり、我が国が、将来へ向けて、先住民族の尊厳を尊重し差別のない多様で豊かな文化を持つ活力ある社会を築いていくための象徴としての意味を持つものである」と記されている。

つまり、「先住民族の権利に関する国際連合宣言」という国際的な流れから「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」がなされ作られた施設であって、存在さえ無視され続けてきたアイヌ自身がアイヌ文化を守ろうという発想から生まれたものではない。

悲しいことに日本人どころか北海道民でもアイヌの存在を無視し続けている人は多い。古くは東北地方にまで居住地域が広がっていたアイヌ民族が戦国の世のころに次第に本州から追い出され、最終的には北海道の地さえも奪われた歴史はほとんど知られていないどころか無視され続けている。

本州アイヌ(wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E5%B7%9E%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%8C

「ウポポイはなぜ作られた」とググると「観光目的」いった意見が多いのも当然だ。私は対外的に恥ずかしくて作ったと思っている。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です