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コメ価格の高騰の嘘

昨年からのコメの高騰が話題に上らない日はないが、どうも腑に落ちないのでデータを漁ってみた。

なぜかというと、私が社会に出たころ(1980年代)も今と似たような価格だった気がしたからだ。農水省のコメの価格のデータは同じ基準の物がなかったため、1960年から現在の農水省の似たデータを3つ繋げてみた。オーバーラップしている部分に大きな差はないのでほぼ同じと思って構わないと思う。

米の価格だけでは比べるものがないので平均年収も同じグラフに入れてみた。その結果が次のグラフだ。平均年収の1975年以前のものは見つからなかったが、バブル期以降はカバーできているので比較できると思う。
米の価格は左軸、平均年種は右軸。

高度成長期からバブル期にかけてコメ価格が徐々に高騰していることがわかる。バブル期を過ぎて下降を続け2023年末から急激に高騰して今の価格高騰に至っている。2003年の高騰は冷夏による記録的な不作が原因だ。

グラフを見て明らかなようにバブル崩壊後にコメ価格は下落を続けているが、平均年収の下落が1割程度なのにコメ価格は5割近くも落ち込んでいる。異常な落ち方だ。離農する気持ちが理解できる。子供に背負わせたくないと思うのもわかるし、子供も同じ苦労はしたくないと思うだろう。

ほぼ全てのメディアは2010年あたりからのデータしか見せないが、その以前を見ればコメ価格は異常な下落から正常値を超えて上がりすぎた様子が見えてくる。正常値を超えて上がったのは農水省の対応の遅れだ。上がってくれて嬉しいと放置したら上がりすぎた。たぶん農協も内情は同じだろう。

この状況が見えないような統計しか用意してこなかった農水省って農家の敵なんじゃないだろうか。統計値が追えないように基準を定期的に変更しているとも思える。そうして農家をこき使って使い捨てにしてきたように思えてしかたがない。また、マスゴミのゴミ具合も同様だ。

大臣にばかり責任を求めるが、マスゴミは国家公務員の無能ぶりは言葉にしない。飼いならされている国民も同様だ。

「失われた30年」という言葉を知っているだろうか。その30年に失われたものはもっと多い。

lily collinsから目が離せない

「エミリーパリへ行く」のシーズン1が公開された当時に見たときにはあまり感じなかったが、最近のlily collinsを見てから改めて見直している。なぜかと言うとHepburnの若い頃に酷似しているからだ。

シーズンが進むほどに美しくなっていると思う。これからの進化に期待したい。

サッチャーの猿真似と海外で笑われている

高市のやり方を見ていてサッチャーの真似をしているつもりの偽物だと思ったが、やはり海外メディアもそうみているようだ。

さすが東京新聞。他の大手では書かない記事を書く。

「偽サッチャー」「自滅的」「時代遅れ」 高市首相の経済政策を海外メディアが酷評…ここまで言われるワケは(東京新聞)

記事のリンク先は見られなくなるだろうから、最初の部分だけ引用しておく。以下はその引用。

◆ロイターが、エコノミストが、テレグラフが…

海外メディアの記事。高市氏に対する辛らつな言葉が並ぶ

 高市政権は先月に約21兆円の経済対策をまとめ、その裏付けとなる18兆3000億円の一般会計補正予算案を閣議決定した。コロナ禍以後、最大の規模だ。この予算の6割は借金である国債の発行で賄う。

 積極的な財政出動で需要喚起を促し、国内産業の成長で税収増をもくろむが、海外メディアは手厳しい。

 英ロイター通信が「自滅的」「自民党への支持を損なうリスクがある」と報じれば、英誌エコノミストは「タカイチノミクスは時代遅れ」とつづる。同誌は米ブルームバーグ通信ともども、日本から他国へ一斉に資金が流れる「資本逃避」が生じかねないと記す。

 「偽サッチャー」と評したのは英紙テレグラフ。サッチャー氏といえば「鉄の女」と呼ばれた元英首相で、高市氏が尊敬する人物として挙げる。英国政治に詳しい早稲田大の高安健将教授は「サッチャー氏は政府が市場に介入せず、経済活性化を市場原理に任せた。高市氏は、経済に国家が介入することに躊躇(ちゅうちょ)がないように見える。経済思想の面では全く対照的」と話す。

次の旅は

早期退職してからコロナ禍の初期以外は年に3回は旅に出ている。「旅こそ人生」とまで言うほどではないが子供の頃から「旅」が好きだ。

国内でまだ行けていない地域もある中、一昨年は年に3回台湾に行った。中国の脅威が迫る中で今のうちに行かなくてはという焦りがあったためだ。

1度目はツアーで台湾全土を縦断した。だが、とてもつまらない「旅行」だった。年寄りに片足を突っ込んだ私が言うのもなんだが、品のない年寄り達と行動を共にするのは我慢が出来ないし、旅行会社の企画もつまらない内容だった。

2度目3度目は自分で便や宿を選んで台北で楽しんで見尽くした。

1度目で見た南部が忘れられず次は高雄と台南だと機会を探していて、ようやく安い便を取ることが出来て再訪する事になる。

日本人もそこそこ訪れているようだが、ガイドブックにもほとんど掲載されず、「地球の歩き方」でも1冊しか出ていない地域。

ここ数年の映画などで使われ始めているのだからこれから話題に上る機会が増えるのだろうか。

話題になって訪れる人が増えれば便も増えて便利になるのだろうが、反面行ってほしくないとも思う。古いいい街が昔のまま手つかずに残っているから良いのであって、人が殺到して壊れて欲しくないからだ。

さて、まだ少し先なのだが楽しみで仕方ない。

野生生物への餌やり

最近は野生生物への餌やりがいけない事なのは常識になってきた。良いことである。

ただ、未だにアップデート出来ない人々も多い。

昨今はクマの出没が問題になっているが、あれは人が被害を受けるから問題にしているだけで、野生生物が健康被害を受けていても問題視しない。

小樽でもカモメへの餌やりが多数行われているが、表立った批判は起こっていない。

カモメは魚類や甲殻類が主食であり炭水化物をあまり消化できない。この事はあまり知られていないようだが、そんなこと以前に餌やりはカモメに影響を与えている。

実はカモメは全国的に減少傾向にあり、準絶滅危惧種と捉える動きもある。確かに小樽港のカモメも10年ほど前に比べてかなり減少しているように見えるが、このあたりの統計は探しても見つからない。

エサを求めて人がいる所から離れようとしない個体や、船が通るとエサを求めて船に寄る群れも居る。それについて何か言っても、「だって可愛いじゃない」のような答えしか返ってこない。

以下は「野生生物への餌やり」についてのAIの回答だ。たぶん間違いのない回答だと思う。機械でさえわかることを理解できないのはいかがなものか。

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野生生物へのエサやりは、野生動物の健康を害し、生態系のバランスを乱し、人と動物のトラブルを引き起こすため、絶対にやめましょう。動物は人間からエサをもらうことに依存し、自分で餌を探す能力が失われます。また、人間が与えるエサは添加物などで病気を招いたり、過剰に繁殖して生態系に悪影響を与えたりする可能性があります。さらに、エサやり場所周辺に動物が集まり、鳴き声やフン害など、周辺環境への被害も発生します。人と動物との適切な距離を保つことが、双方にとって大切です。

エサやりが引き起こす問題

  • 野生動物の健康被害:
    • 人間の食べ物に依存し、自力で餌をとる能力が失われる。
    • 添加物や栄養バランスが偏ったエサにより、病気にかかりやすくなる。
  • 生態系への悪影響:
    • 人間が与えるエサで特定の動物が増え、生態系のバランスが崩れる。
    • 過剰な繁殖によって、個体同士での感染症が広がるリスクがある。
  • 人とのトラブル:
    • エサをもらうことに慣れ、人間に近づきすぎることで、襲いかかるなどの問題行動を起こすようになる。
    • 人と動物のトラブルが起きると、最終的には駆除の対象となる場合がある。
  • 生活環境の悪化:
    • 特定の場所に野生動物が集まり、フンや鳴き声による被害が発生する。

私たちができること

  • 野生動物には、人為的なエサは必要ありません。自然のままの状態でそっと見守りましょう。
  • 生ゴミやペットの餌などを放置しないようにしましょう。これらが野生動物を誘う原因になります。

#小樽 #カモメ #餌やり #野生生物への餌やり #小樽観光船 #観光船 #準絶滅危惧種 #カモメの減少

ノーベル賞

今年はいまのところ2名の日本人科学者が選ばれている。嬉しいことだ。

さて、村上春樹がノーベル文学賞候補として毎年騒がれるが、私は毎年「なぜ?」という疑問符しか思い浮かばない。

候補者は各賞約300人くらいの人が選考される。4月頃には20人まで候補が絞り込まれる。集められた候補者は4月頃をめどに20人まで予備候補者として絞られる。そうして5月にはさらに5人まで絞られる。

だがここで重要なのは候補者は公表されないのである。何位とか報道されることがあるが、あれはブックメーカーが勝手に発表している賭け率であって、選考にあたっているアカデミーは何ら関与していない。

候補者は事後50年経つと公表される。おそらく当時の基準で本人が死んだであろう年数が経過してからということだろう。50年の経過を待つ前に関係者筋から本当らしい噂が漏れることもあるが真偽のほどは公開までわからない。

このように候補になっているか不明なものを毎年騒ぐのはどうなんだろうか。他には値する文学者は居ないのか。居ないのだろうな。

ウポポイがなぜ作られたかという疑問

ウポポイという国の施設が突然計画され作られた。北海道民として見ていても不自然な出来事だった。当時、札幌市議会議員が「アイヌはもういない」といった発言でつるし上げられたのは記憶に新しいが、実際北海道民でも存在を知らないどころか無視あるいはいまだに差別しているのは明らかな事実なのだ。

2007年9月13日に国連で採択された「先住民族の権利に関する国際連合宣言」がある。国際法上の法的拘束力はないが、先住民族に対する差別の禁止と先住民族の権利の明確な保持、そして彼ら自身が目指す経済・社会的開発の継続を促進することが明記されている。

この国連宣言をふまえ、2008年6月に「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」が衆議院および参議院において全会一致で採択されは。政府は同決議を受け「アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会」を設置。有識者懇談会は報告書をまとめ、2009年7月に公開した。ここで「民族共生の象徴となる空間の整備」の必要が議論されたことが、民族共生象徴空間という名称へと直接的につながっていく。

このような経緯から「民族共生の象徴となる空間」は必要とされることになった。アイヌ政策推進会議では、一部のアイヌの人々の意見を踏まえつつ、総合的かつ効果的なアイヌ政策の推進が目指されることが確認された。

2009年に公表された有識者懇談会の報告書では民族共生象徴空間について、「これらの施設及び空間は、本報告書のコンセプト全体を体現する扇の要となるものであり、我が国が、将来へ向けて、先住民族の尊厳を尊重し差別のない多様で豊かな文化を持つ活力ある社会を築いていくための象徴としての意味を持つものである」と記されている。

つまり、「先住民族の権利に関する国際連合宣言」という国際的な流れから「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」がなされ作られた施設であって、存在さえ無視され続けてきたアイヌ自身がアイヌ文化を守ろうという発想から生まれたものではない。

悲しいことに日本人どころか北海道民でもアイヌの存在を無視し続けている人は多い。古くは東北地方にまで居住地域が広がっていたアイヌ民族が戦国の世のころに次第に本州から追い出され、最終的には北海道の地さえも奪われた歴史はほとんど知られていないどころか無視され続けている。

本州アイヌ(wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E5%B7%9E%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%8C

「ウポポイはなぜ作られた」とググると「観光目的」いった意見が多いのも当然だ。私は対外的に恥ずかしくて作ったと思っている。

近年のクマ問題

近年、人が住む領域にクマが出てきて問題を起こすことが多くなっている。

クマが増えすぎていることに加え、人があまりに無防備・無関心だからだ。クマが寄ってくる食べ物や食べ物のごみを平気で置く。仕事として農業を行う人は作物を食べられては困るので電気柵などで防御する。家庭菜園を行う人は金をかけて電気柵を設置することもなければ、近隣にクマが出てきても収穫してくることを防ごうともしない。食われても作物自体の被害は小さいからだ。そして増えすぎて居場所を無くしたクマが住宅地へ食料を求めて出てきて問題行動を起こす。

先日、北海道福島町で新聞配達員がクマに襲われて亡くなった。その前から町内にクマの出没が見られたにも関わらず、早朝の日が出る前に配達を行っていたためクマの発見が遅れて襲われた結果だ。まだ暗いうちに配達していたのは本人の希望だと報道されていたが、雇用者は被雇用者の安全を守る義務があるはずだ。本人が希望するから危険なことを容認していたという伝え方をするメディアを見ることはなかった。彼を殺したのはクマだが、クマに襲われる状況を作ったのは新聞配達所だ。

そういった問題行動を起こすクマの駆除に対して苦情の電話が多く、日常の業務に支障をきたしていることはよく耳にする。クマと聞いて熊のプーさんしか思い浮かばない連中に言いたい。クマに襲われると肉が千切れるほどの力で攻撃され内臓や肉を食べられるのだ。町の人々はその恐怖に震えながら日々暮らしている。どこかで問題になった発言にあるように「クマをお前の家に送ってやりたい」。あまりに現実を見ない典型的平和ボケ。そういった連中は戦争になって銃や大砲で攻め入られても「人を殺してはいけない」と自衛隊に非難の電話をするのだろう。

#クマ #熊 #福島町 #北海道新聞 #新聞配達員

小樽って最高!

クルーズ客船「ぱしふぃっくびいなす」とオーセントホテルの20周年企画でデイクルーズとランチを楽しむ企画があって行ってきました。

船体の奇麗なラインが美しく、以前から気になっていた船です。
船はやはり見た目もとても大切。高層ビルが浮かんでいるといった外見の船は好きじゃない。20周年記念のイベントということですが、20年前に就航した船とは思えないほど奇麗な内装でした。

10階だったでしょうか、オブザベーションラウンジの前の甲板から見た小樽の街です。小樽港から見る景色は何度も船の上から見ていますが、この高さからは初めてのように思います。赤岩から天狗、毛無山と続く緑の山々に抱かれた小さな町という雰囲気の景色は、改めていい景色だと感じました。この景色はポイントが高いと思います。

赤岩沖の風景。祝津から塩谷にかけての断崖が遠くに見えました。塩谷の窓岩あたりの高い断崖が見えます。そのすぐ左が青の洞窟ですが遠くて見えませんでした。次第に余市方面へ差し掛かり特徴のあるシリパ岬が目に入ります。
この辺りから船内のイベントが始まり、甲板から景色を見ることができなくなりました。ビンゴはいままで当たったことがないし景色を見ていたかったかも(笑)

ビンゴ大会からランチとコンサートになるのですが、あまり好みの歌手ではなかったので最初だけ聞いて甲板に出てきました。短い航海ですのでできるだけ景色を見ていたかったから。

そのころには船は赤岩沖へ差し掛かり、一度小樽港を過ぎて朝里沖あたりから小樽港へ向かいます。防波堤の灯台の間を通り第3埠頭の岸壁まで水面を滑るように進んでいきます。出来れば古平から積丹岬あたりの景色もじっくりと見たかった。遠い昔に積丹半島の周遊船があったころ以来の景色でしたから。

それでも小樽港が近くなってきて、周囲の山々や街並みが見えてきてという風景の変化もまた魅力的な風景でした。特に赤岩周辺の断崖の続く風景から祝津の灯台を過ぎて緑の山のすそ野に街が見えてきてという変化が好きです。新潟-小樽のフェリーでは何度か見ていますが、いつも下船準備などでゆっくりと港に入る風景を見逃していました。鉄道や自動車とはまた違った近づき方でワクワク感が高まってきますね。

ちょっとお高いランチクルーズでしたが、普段見ることのない景色と、オーセントホテルのシェフが作るランチを堪能できました。本当のクルーズにも出てみたいですが、海上で何日もというのは私には苦しそうな気がします。私にはデイクルーズくらいがちょうどいいかも。

安易な自然再生は破壊に匹敵する場合があることを知るべきだ

草木があれば街の公園でも「自然」と呼ぶ人が多いが、それが植えられたものや人が手を入れて管理しているものなら正確には「自然」ではない。それは「人工の緑」だ。

いまアポイ岳の高山植物群落再生計画とかいうものが進められているが、現在進められているやり方に町の諮問機関が見直しを求めている。

都合のいい環境・景観を作ろうとしているのならそれは自然の「再生」ではなく「破壊」に繋がる。人工的に「再生」を目指すのなら諮問機関が言うように遺伝的特性を乱さない方法で栽培対象種を拡大することが必要だ。そして注意深く準備を行わなくてはならない。

なぜなら、同じ種類の木でも、そこにあったものと、遠くから持ってきたものは同じではないからだ。自然の「再生」を目指すなら、そこにある草木の子孫を、自然と同じように草木に競争させ、自然の中のそれぞれの役割を果たさせるような工夫をすべきである。「あの奇麗な木が枯れたから植えよう」という感覚なら何もしない方がいい。人間の影響ではなく自然に枯れたのならそれが自然だからだ。人間の影響なら、植えることを考えるよりも枯れた原因を取り除くことが重要だ。

自然の中の競争は、強いものが勝つという単純なものではなく、それぞれの役割を担って生きるという側面について考えなくてはいけない。成長が早い種は遅い種に日や風の影を提供する。その陰のおかげで生き残る種もある。影になって枯れる種もある。自然とはそういうものだ。

「再生」を目指すには「自然」の中のそれぞれの役割は何かをもっと考えないと取り返しのつかない「破壊」を行ってしまう。
岡村先生が研究してきた「生態学的混播・混植法」の中にもそのヒントがあると思う。興味があったら検索してみてください。