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ミシュラン掲載店の店主の悩み

以前に「かねさく」というお蕎麦屋の閉店について書いたが、そこで毎日のように昼食をとっていたのが、近所の伊勢寿司の店主である。

機会があって立ち話していたら、「かねさく」が閉店して困っているそうだ。伊勢寿司の開店時間の関係から、近くのお蕎麦屋では無理になったらしい。

私が大好きだったお蕎麦屋の閉店は他にも影響しているようである。

かねさく本店が閉店

映画「エレクトリックミスト」を見た

原作はジェイムズ・リー・バークのロビショーシリーズの第1弾だった。
日本の映画館では公開されていないらしい。
ツタヤでDVDを見つけて、見る機会を逃したまま忘れ、最近やっと見た。
ジェイムズ・リー・バーク自体あまり日本では人気が無いのか、2001年ころを境に出版されていない。

盛り上がりの少ない暗いハードボイルド物だが、トミー・リー・ジョーンズがいい雰囲気を出している。
ラストに向けて巻きに入るのは気になるが、ラストの雰囲気はなかなかのもの。
こういう映画をもっと作ってくれないだろうか。ドンパチやる賑やかなのもいいが、しっとりとした雰囲気は落ち着く。

ジェイムズ・リー・バークかジェイムズ・クラムリーの新刊は出ていないだろうか。
明日あたり本屋へ足を運んでみたい。

他にお勧めをいくつか。

サラ・パレツキーのV.I。ウォーショースキーシリーズ。珍しい女性の探偵。割合日本でもファンは多く、作者は何度も日本に来ているようだ。

レイモンド・チャンドラー。フィリップ・マーロウシリーズ。定番ともいえるシリーズ。

ロス・マクドナルド。リュー・アーチャーシリーズ。これも定番。

矢作俊彦。日本の作家のハードボイルドは嘘くさいのが多いが、矢作俊彦の作品は本物の味がある。谷口ジローや大友克洋の漫画の原作を書いていたりするのも面白い。

今は斧を使ったことがある人どころか見たことがある人も少ないだろう。
私が子供の頃の家にはあったが、近所の多くの家には無かったと思う。

近くで見たことがある人は気がついただろうか。
日本の斧の刃の両面に3本と4本の川の字のような溝が彫られている。

「なんのため?」と子供の頃に父に聞いて教えてもらった。

木こりが山で木を切るときに木の神様に手を合わせるそうだ。「これから切らせていただきます」と。その時に供え物として酒と米を供えたいのだが山の中。その代わりに斧の両面に酒を意味する3本の筋、米を表す4本の筋が彫られている。それを木に立てかけて拝むそうだ。

だが、なぜ3本が酒で4本が米なのかも聞いた気がするが忘れてしまっていた。

『木に学べ-法隆寺・薬師寺の美-:西岡常一』(小学館,1988.3.1)という本が発売されて読んだ時にそのなぞは解けた。

三本の方をミキと言います。ミキつまり御酒(みき)のことですから「酒」でんな。
そんで四本ほうがヨキゆうて五穀のことです。ヨキは四大「地水火風」をあらわしてます。地は地面、水は水(みず)、火は太陽、風は空気でんな。つまり四方山(よもやま)の山海の珍味いうことでしょう。

こういう気持ちって大切だと思う。

近所のお肉屋さん

 最近は近所のお肉屋が少なくなってきた。
昔は商店が集まっているところや市場には必ずあったが、市場も減り、商店街もシャッター街へと変貌している。肉も魚も野菜も市場のほうが新鮮で安いのだが。。。

 このマルヤスさとう精肉店も以前は入船市場という市場に出店していたが撤退。一時期は電話注文で宅配を行っていた。

 我が家は入船市場の時代からのファンで、週に一度数キロ買ってチルドしている。

 現在は工場直営の小売の他にネット販売も行っている。
 工場直営店:さとう精肉店
       小樽市 幸3丁目28-13 0134-22-9666
 Yahooショッピング:小樽ミートファクトリー


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ecoって宗教だったんだ

少し前にジョークのつもりで言って自分自身納得した言葉。「ecoって宗教」
宗教には申し訳ないたとえだが、まさに的を得ていると自画自賛している。

ecoなことを「行う」ことが目的で、本当に環境のためになっているかは見えていない。信じて行っているだけで疑って考えていないからだ。

本当はある結果を目指して、そこへ辿りつくための手段が多々あるはずなのだが、行うことが目的になってしまっているためだ。
よく周囲で聞く「再生紙を使わなくてはならない」「白色度70%以下を使いなさい」「白い紙を使うと”今時”みたいに言われる」が良い例だ。

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原子力発電について思うこと

今回の震災で原子力に対する非難と反対が声高く叫ばれています。事故については非難されるべきでしょう。確かに今回の事故はなんとしても避けなければならなかった事だと思います。

私は原子力推進派ではありません。最近まで材料関係の開発を行ってきた技術屋なので技術的には門外漢です。しかし技術屋なのでヒステリックに反対のみを叫ぶことはできません。

もう20年以上前に「原子力は必要なのだろうか」と友人の技術屋と何度も話したことがあります。当時と今では状況は変わってはいますが、今でも当時と同じ意見を持っています。「今は無くてはならない」です。

ここに2つの数字があります。日本国内の発電量の統計です。

【発電所による発電量】
火力 134.9ギガワット(59.1%)
原子力 48.8ギガワット(21.4%)
水力 43.9ギガワット(19.2%)
その他 0.5ギガワット(0.2%)
計 228.1ギガワット
資源エネルギー庁 電力調査統計 発電所認可出力表 (平成22年12月)

【自家発電による発電量】
火力 53.8ギガワット(89.2%)
水力 4.4ギガワット(7.3%)
風力 2.1ギガワット(3.5%)
計 60.3ギガワット
資源エネルギー庁 電力調査統計 発電所認可出力表 (平成22年9月末)

原子力の発電量を見て「2割なら節電すれば無くてもいいじゃん」という見方もあるでしょう。2割という数字だけ見れば、今現在はそれも正しいかもしれません。
注目しなくてはならないのはその上の火力です。石炭・石油・ガス等の化石燃料を燃やしているのが火力発電です。

化石燃料はもう枯渇するのが見えている資源であり、燃やす以外に繊維やプラスチック製品などの石油製品類にも使われています。
さて燃やし尽くしたら次はどうしましょうか。また、燃やして生まれる二酸化炭素などはどう処理したらいいのでしょうか。

「代替エネルギーの風力や太陽光がもう実用化してるじゃないか」という人もいるでしょう。確かによく目にするようにはなりました。
ではどれくらいのシェアを持っているか考えたことはありますか?
また、風任せ天気任せの供給が不安定なエネルギーに頼ることの怖さは考えていますか?

自然エネルギーと呼んでいる地熱発電、風力発電、太陽光発電は前のデータの【発電所による発電量】の「その他」に分類され0.2%しかありません。

現在私達が目にする風力発電の多くは前のデータの【自家発電による発電量】に分類され3.5%に過ぎず、全体の0.7%でしかありません。

この読売の記事にもあるように未だ発展途上の技術なのです。
『燃料電池、停電時使えず…太陽光も発電量不足』Yomiuriオンライン
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110330-OYT1T00539.htm

「石油が無くなる頃には代替のものが出来あがってるさ」と言って笑い飛ばしますか?

私の「管理を強化して安全性を高めて次代のエネルギー技術を確立できるまで使い続けなければならない」という考え方は間違っているのでしょうか。

小樽AKY48プロジェクトミーティング

昨日振り替え休日を利用して「第1回小樽AKY48プロジェクトミーティング」なるものに出席してきた。まずH/N「潮」さんが作った資料に圧倒され、出席している面々に度肝を抜かれ、実食した「じょっぱり亭」の焼きそばの量にノックアウトされた(笑)

「潮」さんの資料の別紙には各地のご当地グルメの特徴がまとめられ、「小樽あんかけ焼きそばPR委員会」委員長の高田氏のお話でも他のご当地グルメの決め事(ルール)に対する検討が語られていた。

まだ立ち上がったばかりで手探りの部分も多いのは事実だが、市民のアイデアも取り入れてもらえるという高田委員長のお言葉もあったので、市民からもいろいろな意見を出し合って小樽を盛り上げたいと思う。

今後は新聞にも取り上げられたPR委員会のからみで、TVでも小樽のあんかけ焼きそばが取り上げられるとのことで、「小樽」といえば「あんかけ焼きそば」といった連想も多少は期待できるだろう。

まずはその口火を切った「潮」さんの小樽AKY48プロジェクトに拍手を送りたい。

四十の終わりにして目覚めた

というわけではないのだが、数年前から町内の子供会のお手伝いをしている。
自分の子供は子供会を卒業したが「子供がお世話になったお礼に」という気持ちである。

一昨年の秋から小樽築港ベイエリア活用促進実行委員会という長い名前の会のボランティアも始めた。
4年前からいかだレース大会でお世話になっているので「そのお礼」のつもりである。

年をとって地域の繋がりについて考えることが多くなったということもあるが、子供たちが手を離れていって時間が出来てきたというのもあるかもしれない。妻も笑って送り出してくれるという環境もあるのだろう。

数年前に傷めた膝が疼く時もある。運動不足で力自慢だった頃よりもだいぶ腕や腿も細くなった。が、まだまだ体力的にはなんとかなるだろう。もう少し自分が住む地域の「元気」のために頑張ってみようと思う。

これが今年の私の抱負である。

「モッタイナイ」野菜や魚たち

最近姉の家の近所の農家の方で引退する方が増えてきました。高齢になって商売として続けるのが大変になったということです。

農家の方は仕事としてはやめても自家用に作り続ける人が多いものです。作りすぎたとか出来が悪いとか言って姉の家にもらったものが我が家にも流れてきます。姉と旦那の2人暮らしなので余るそうです。

そういう貰いものは「ありがとう!」と気持ちよく貰うことにしています。何せ私も含めて大食家族なので芋でも大根でも雑魚でもうれしいのです。

昨日はギスカジカとスケソウダラを数匹づつもらいました。聞くと漁師さんが売れないからと投げよう(捨てる、の北海道弁)としていたところに姉の旦那が通りがかったそうです。コッコ(卵、これも北海道弁)だけ取って身は捨てているらしいです。妻も私も口を揃えて「もったいない!」です。

農家の方にもらう芋や大根も”す”が入っているものや曲がっているものが多いですが切れば同じ。どんな種類の魚だって、大きかろうが小さかろうがそれなりに料理すれば美味しく食べられます。

ニュースで今年の猛暑で曲がったサツマイモを「捨てなきゃなんね」と農家の方が言っていたが、少し安く売って頂けるなら喜んで買います。実際、100円で買ってきた細長いサツマイモはタジン鍋で焼いて子供たちのおやつになりました。

農協や漁協が流通の規格に入らないものを流さなくなったために捨てられていることは意外にニュースは取り上げてくれません。十分に食べられるものが「形が変」「大きい」「小さい」というだけで毎年大量に捨てられていることをほとんどの人は知りません。たまに採れすぎて大規模に廃棄するときだけ目にするだけです。そして曲がっていないキュウリや大根を高い価格で当然のように買っているわけです。

「モッタイナイ」が環境保護のキーワードのように使われていますが、もっと本来の「モッタイナイ」をみんなが感じるべきだと思います。そしてそれらのものが意外に美味しいことに驚いてみてください。