佐々木譲さん

佐々木譲さんの作品は、青春バイク小説の頃から読ませていただいている。
ここしばらく本を読むことが少なかったが「笑う警官」を購入した。

冒頭から全力で駆け抜けていく迫力。「すごい!」その一言に尽きる。

「夜にその名を呼べば」「ネプチューンの迷宮」などの、どちらかというと軽めのサスペンス物から歴史物まで広いジャンルを書き続けてきた作者の底力なのだろう。

第142回直木賞を受賞してから本業に専念できていないらしいが、また新しい世界を書き続けて頂きたいと願う。

映画「青いドレスの女」

映画「青いドレスの女」を見た。偶然にテレビで映画が始る時間に電源を入れることになった。

秘密酒場と安酒と紫煙。なんとも言えない良い雰囲気がすべてそろっている。1995年の公開当時には話題になったのだろうか。不思議と思い出せない。あまり話題にはならなかったかもしれない。だとするとハードボイルドにお決まりの筋運びと結末のせいだろうか。
そのあたりを楽しめるかどうかがハードボイルドを読める人と読めない人の境目なのだろう。

原作:ウォルター・モズリイ『ブルー・ドレスの女』も読んでみたくなった。

剱岳

映画『劒岳 〈点の記〉』を見た。
2年の歳月と10億円を投じて撮影された映画である。

内容も映像もすばらしいものだった。改めて「山とは」と考えさせられる作品だった。
「なぜ山に登るのか」「なぜ地図を作るのか」そういった問いかけを真剣に考えながら見させてもらった。

この映画の中でも触れているが、この1907年7月の測量に関して「点の記」は存在しない。
作品の中では軍が千年前の行者による登頂を重く見て記録を抹殺したことを示唆するような台詞があるが、映画の中でも四等なので点の記は無いということが説明されている。軍が初登頂しなくてはならないという意地があったようだし、行者を称える余裕もなっかたようだ。

実際、柴崎芳太郎が下見の結果から重い三角点標石などを運び上げることを断念し四等三角点として測量を行ったため「点の記」という公式の記録としては存在しない。実際の測量作業に入るときにはすでに四等と考えていたようで四等用の資材をひとつ追加するように指示していた。

それから100年余り後の2004年にヘリコプターを使って標石を運び、国土地理院により三等三角点が設置された。
その時に作成された三等三角点「剱岳」点の記では選点日時を「明治40年7月13日」とし、選点者として柴崎芳太郎の名が記載されている。

柴崎は1907年7月の周辺の山々の三等三角網の測量によって山頂の独立標高点(現在の「標高点」)を2998m(四捨五入前は2998.02m)と計算した。
2009年の元国土地理院 山田明氏によるGPS等による測量では、2998.42mであった。
およそ百年前の技術にして、なんとも驚異的な正確さだ。

【追記】
2007年(平成19年)が登頂から100年を迎えることを記念して国土地理院北陸地方測量部が「剱岳測量100周年記念事業」として2004年に三等三角点を設置し、GPSにより位置測量を行い、「点の記」が作成されました。
その「点の記」は国土交通省国土地理院の報道発表資料 2004年10月28日付で見ることが出来ます。

なお、広報 第436号 「剱岳三等三角点設置」によると、三角点の選点は柴崎芳太郎測量官の冠字「景」を使い、また同氏が意図していた剱岳三角点番号(27)を用いたということです。
(冠字:選点者の略号。通常は姓の頭文字を用いることが多い。想像だが、柴崎氏の場合は万葉かなの文字を用いたようである。)

リスニングで今年もトラブル続出・・・??

224件のICプレーヤーのトラブルあったと朝日新聞の記事にあったが、何人が英語のリスニング試験を受験したかという数字はは出ていなかった。
母数も言わずに「続出」というも変な記事だ。

毎年繰り返すこのマスコミの書き方は、グリーンピースやシーシェパードのように、正当かどうかの判断ではなく叩きたいから叩くという行為に似ていなくも無い。

実際にはリスニングの受験者数は公表されていないようなので試算してみたい。

英語の筆記を受験した人はほとんどリスニングを受験するという”事実”を元に考える。私が知っている範囲ではおよそ9割以上なのが現状である。
英語の受験者は513267人ということなのでその9割が受験したと仮定して461940人ということになる。224÷461940はいくらになるかというと0.000485、つまり0.05%以下ということになる。1万件に5件以下である。

8割として計算すると410614人となる。
224÷410614では0.000594、つまり0.06%以下だ。数字に弱い記者さんにわかるように言い換えると、控えめにみた8割の受験者として試算しても1万件に6件以下の確率である。

千人に224件なら「続出」という表現も妥当だろう。
一万人でも「続出」で妥当と言えるかもしれない。
では五十万人に対してでは一般的な常識として多いとは言えない数字ではないだろうか。

50万世帯規模の都市で新聞に関するトラブルが何件あるだろうか。150万程度の人口の都市というところだろう。
そういった統計値は無いだろうが、誰か集計してみて欲しい。
興味本位の意見でしかないが、おそらく「続出」と言っていい数値を見ることが出来るだろう。
誰かそういう統計結果を知りませんか?

佐々木譲さんが直木賞

作家の佐々木譲さんが『廃墟に乞う』で第142回直木賞を受賞しました。新聞によると3回目のノミネートでの受賞ということです。
おめでとうございます。

昔から好きな作家の一人で、文庫になったものは時代小説以外ほとんどと言って良いくらいに読ませていただいています。

受賞作以外も是非読んでみてください。
絶対にお勧めの作家です。

佐々木譲資料館(ご自身で運営しているホームページ)
このページからもご本人の許可を得てリンクさせていただいています。

しゃこ

小樽しゃこ祭が今年も行われた。ご存知の方もいるだろうし行った方もいるだろう。
残念ながら私は行けなかった。

でも今年は生れて初めて食べたと言っていいくらいに美味しいしゃこを食べられたのである。
市場で買って食べて美味しいと思っていた味がぶっ飛ぶような味だった。
この50年、何を食べていたんだろうと思う味だった。小樽生まれで小さい頃から幾度と無く食べてきた私がである。

しゃこ祭の記事で「美味しかった。またスーパーで買って食べます。」と言っていた札幌の方に私は言いたい!

スーパーで買ったってダメ!!
赤いのが並んでる店もダメ!!

トムラウシ山夏山遭難の中間報告

日本山岳ガイド協会(東京)の調査特別委員会が中間報告書を出した。
北海道新聞社の社説で取り上げられている。さすがに社説だけあってきちんとした内容である。

北海道新聞社の社説

委員会の座長の記者会見で「一般論で言えば(遭難を)防げた部分もある」とある。
社説の中でもあるように客・ガイド・ツアー会社それぞれに責任がある。そのそれぞれが責任を果たしていれば簡単に防ぐことは出来たろう。だが現状でもこれからもそれは難しいことだろう。
座長もそれをわかった上での発言だと思う。

これまで毎年のように起こる事故の度に言われ続けていることだが、装備の不備、日程の不備、判断の甘さが全ての原因である。
北海道は夏でもセーター一枚の差が生死を分ける気候だという認識。条件が悪ければ「また来れるさ」と一歩退く余裕。それらを持たないと死ぬ場所なのだという認識を持たなければこれからも死に続けるだろう。

その社説は「悲劇を繰り返さないための教訓として生かしてほしい」と結ばれている。

鶏飯(けいはん)

21日土曜日にファイターズのファンフェスティバルに行ってきました。
朝9時頃に着いて1塁側の中間辺りに陣取って朝からケンタッキーを片手にビールでエンジョイしました。
ただ感じたのは、私のような俄かファンでは楽しみきれないですね。ファンクラブに入っているような気合の入ったファンだともっと楽しいと思います。
でも遠くに本物のダルビッシュや稲葉が見えて楽しかったです。初めて行った球場の雰囲気も新鮮でした。

そんな暴飲暴食の1日を過ごしてお腹が疲れていたので日曜日の夕食は鶏飯にすることにしました。

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「忘れられたオーストラリア人」

その言葉をニコール・キッドマンとヒュー・ジャックマンが共演した映画「オーストラリア」の中で知った。
オーストラリアでは1970年台半ばまでアボリジニと白人の間に生れた混血児などに対して虐待が行われてきた歴史がある。
映画の中でその事実があったことをエンドロールで見て驚くと共に、オーストラリア人の監督がオーストラリア人のニコール・キッドマンとヒュー・ジャックマンと共に映画を作った事にも驚いた。

綺麗な奥様が未開の地で珍道中を繰り広げるストーリーだと思って見始めて、中盤からの意外な展開に引き込まれて見ていた物語に、その物語で語りたかった意味という答えを見つけたような気がした。

時事通信の記事によると「オーストラリアのラッド首相は16日、1930~70年代に国内の孤児院など養護施設で、国内や英国から連れて来られた子供たちに対して精神的、肉体的、性的な虐待が行われていた事実を認め、「忘れられたオーストラリア人」とされる当時入所していた50万人もの国民に正式に謝罪した。」とある。

同じく時事通信の記事で「英スカイ・テレビ(電子版)は15日、白人移民の増加を望んでいたかつてのオーストラリアに対し1940~50年代、英政府が児童施設の子供を選抜しては国策として送り込んでいたとして、ブラウン首相が近く公式に謝罪すると伝えた。」という記事があった。

15日付けのイギリス側の発表が引き金になって16日にオーストラリア側が謝罪に踏み切ったようにも見えるが、本当のところはわからない。ただ、どちらも同じ「忘れられたオーストラリア人」に対する謝罪だ。

映画「オーストラリア」は今年3月公開だったから、この映画が影響を与えたのではないかと言えなくはないだろう。
映画を賞賛する声の中にこの事実を広く公開したことに関するものがない事が少しさびしい。