季節や天候などを待っているうちに1年近くかかってしまったが、とりあえず主なものの撮影が終わりました。
投稿者「g3.otaru」のアーカイブ
Web上の質問コーナーの答えは過半数が間違った答え
ずっと以前からコンピューターに関するWeb上の質問コーナーの答えは過半数が的外れか嘘の答え。
私も答えが見つからないときにwebを探すが、いくつもデタラメな答えを目にしている。それもひと目で嘘だとわかるものがほとんどだ。
もしも嘘を見分ける目が無いならヤフーやグーグルで探すのではなく、マイクロソフトに関するものなら、technet.microsoft.comで探すか、answers.microsoft.comで質問するのがいい。他の疑問でもメーカーサイトか定番のサイトを参考にするのが正解だ。
マイクロソフトのanswersも最近は怪しい答えが多いが、モデレータが管理してくれている分、他の質問コーナーよりも安心できると思う。
くれぐれも間違った答えを掴まないように。私の周りのfbなどの質問に対する答えを見ていると、知り合いの詳しい人も信用できない答えが多い(笑)
父との旅の思い出
今年は少し特別な年なので思い出を書いてみました。少し長いですがお付き合いください。
父が旅好きだったことと車を持たなかったことから、子供のころからバスや列車に乗って旅することが多かった。
私が小学校前のころは、小樽から札幌へバスで行くのも乗り継いで行く小さな旅行だった。市内線で朝里まで行き、札幌行に乗り換えて札幌へ向かった光景が記憶の隅にある。もちろん国鉄は蒸気機関車に木製の客車だった時代だ。
小学校の高学年になり父は私を連れて道東の旅を計画した。当時は「カニ族」というキスリングを背負った旅行者が日本中にあふれていた頃で、駅前の屋根のあるところには若者が寝袋に入って転がっていた。
さすがに小学生を連れて野宿は気が引けたのか、当時国設だったキャンプ場を使って国鉄とバスで結んでいくルートを父と計画した。その時に時刻表の見方を教えてもらった。
一般に「キャンプ」自体が浸透していない頃で、若いころ山屋だった父らしい選択だったかもしれない。
なるべく出費を抑えるために食事は基本自炊。材料もほとんど持っていく。今のように便利な道具がなかった時代でもあり、いろいろと工夫を重ねながら調理器具や食材を揃えていく。父は黄土色のキスリング。私はスキー用の左右にスキー靴が入る水色のリュックだった。どちらも結構な大きさだったが一杯になっていた。その上に軍の払い下げの毛布を寝袋代わりに縛り付けて持っていったはずだ。どれくらいの重さだったろうか。日ごろから山へ連れ出されていた私なので重くて歩けなかったような記憶は無い。当時小学生としてはかなり大きかったこともあるかもしれない。
小樽から夜行で網走に入り、見物したのちに斜里まで移動。そこからバスでウトロへ向かい、崖の上にあるキャンプ場に入り一泊。夕日がきれいなスポットだが疲れて明るいうちに寝てしまった。
次の日はウトロから早朝の遊覧船で知床半島の崖などの絶景を見ながら羅臼へ向かい、次に尾岱沼へ向かうのだが、羅臼でキャンプしたような記憶がない。船が何時間かかったか覚えていないが、次の尾岱沼のキャンプ場へ入ったのは昼頃だった記憶があるので羅臼で一泊したのだろう。ヒカリゴケを見るか見ないか相談した記憶もある。軽く船酔いした記憶があるので、町から少し離れたキャンプ場に泊まったのかもしれない。
羅臼を離れて野付半島を見たのちに尾岱沼で一泊した。何もない草むらの中にバス停があり、そこからかなり歩いてキャンプ場に入った気がする。かんかん照りの中に物置のような管理棟が建っている風景を覚えている。
次に屈斜路湖畔のキャンプ場へ移動して泊まり最終目的地は層雲峡のキャンプ場だった。屈斜路湖畔は2泊したかもしれない。けっこうな距離を歩いて温泉に入りに行き、遊覧船にも乗った記憶がある。湖畔を掘ってお湯で顔を洗った記憶もある。暖かく穏やかな場所だったので休憩だったかもしれない。
今も鮮明に覚えているいくつもの風景。
行きの夜行列車で朝起きて見た風景は蒸気機関車の後部の石炭庫だった。
網走の真夏でも寒い海水浴場と小さなオホーツク水族館。
斜里の駅前だったかで駅弁と毛ガニの値段を比べ、カニを選んで駅の階段で食べたこと。
荷物を担いだまま歩いて回った知床五胡。
森繁久彌と加藤登紀子の知床旅情を交互に聞きながら揺られた知床一周の遊覧船からの風景。
白骨のような枯れ木で埋まった野付半島の風景。
尾岱沼のキャンプ場の前で味噌汁の具を袋に小分けして売っていたおばあさん。
夕飯のおかずはその味噌汁に海で採ったアサリを大量に入れたものだった。
朝起きたら牛で埋まっていた尾岱沼のキャンプ場の光景。
温泉に入りに行く途中でブヨの大群に襲われた屈斜路湖畔のキャンプ場。
他にもまだたくさんの風景を思い出す。
今も鮮明に覚えているが、最終目的地だった層雲峡のキャンプ場の入口に「熊が出没したため閉鎖」とあったのだ。
この瞬間に旅は終わった。時刻表とにらめっこして小樽までギリギリ帰れることを確認した時に「家へ帰る」という暗い気分に変わったのだった。
そして最後の記憶は層雲峡からの帰りのバスでは空席がなく、誰かが新聞紙をくれて床に敷いて座ったこと。私も父も暗い顔をしていたことだろう。「仕方がないよね」と何度も言葉を交わしたことを覚えている。旭川から鈍行がなく急行に乗ったような気がする。
父が亡くなって37年ほど。私の年齢は今年で父を10超えることになる。父は永遠に47歳のままなのだ。
妻と結婚してから子供たちを連れて似たような行程を何回かに分けて車で廻った。犬や猫を連れてなので当時とは違う。ほとんど同じ光景が広がっているところもあり、まったく面影もないところもある。ウトロの夕日は30年以上後の旅で妻や子ども達と見ることが出来た。

私の家族と訪れた知床五湖は当時と変わらずに見えた
この時期になると考えること
保健所犬猫応援団のページにうちのプーさんのことが掲載されました。
そこで、この時期になると思うことを書き連ねてみました。少し長いですが読んでいただけるとうれしいです。
うちの愛犬、プーさんはクリスマス頃に街中を彷徨っているところを保護され、犬管理所に収容されました。小樽の犬管理所は暖房もなく雨風を凌ぐだけの施設です。保護のための活動をされている団体の方が寒さに耐えられないと判断して引き取り、その後私の家に来ることになりました。
小樽には引き取られた動物の世話をして引き取り手を探したりしている保護団体があり、殺処分をゼロにしようと活動されています。そのことは何度か新聞でも取り上げられました。読んで知っている方も多いと思います。同じように活動をされている方々が全国にいます。今回プーさんのことを掲載してくださった保健所犬猫応援団もその一つです。
環境省の統計を見ると昭和49年と比べて犬猫の殺処分数は10分の1程度にまで減っています。確かに右肩下がりのグラフになっており、減っていることがわかります。それでも年間に13万匹ほどが殺処分されています。
近年、ペットに関する法令が少しだけ整備され、ペットショップの営業時間に制限が加えられたり、販売業者の義務が明記されたりしました。それでもまだ犬や猫の扱いは「物」であることに変わりはありません。そして、犬猫が「物」のように並べられているペットショップが多いことも変わっていません。
アメリカの一部の州ではペットショップを置けないところがあり、飼いたい人は相談所を訪れてブリーダーを紹介してもらい、ブリーダーと話をしたうえで分けてもらうというシステムがあるそうです。お互いの人柄や状況を確認して売買するシステムです。
日本も同じようにしなくてはならないというわけではありませんが、そういうシステムも取り入れることができるといいなと思います。
今の日本では知り合いの紹介で行くことくらいしかできませんので、情報を集約して紹介できるシステムを作ることはできないものでしょうか。
なぜこんな話になったか。保健所に引き取られる犬猫の中には、飼い主が亡くなったり、事情があって飼えなくなったものも多いですが、おもちゃを買う感覚で買われ、手に負えなくなって手放すものも多いと考えるからです。うちのプーさんのようなケースです。
ペットを飼うということは、お金や時間や生活にいくつもの負担がかかります。そういったことを理解したうえで飼わなくてはいけない。みんながそれを理解できる社会になったら殺処分はゼロに近づけるのではないかと思います。
心に沁みた
昨夜、宴会帰りの電車の中で読んでいて心に沁みた作品。
魯山人にとっての「料理」を私たちの「町づくり」に置き換えるとそのまま通用するような気がします。
「料理はいつもわれわれ日常生活とともにある。そして、そのコツも、いつもわれわれのいちばん手近にある。だが、道は遠いかも知れない。しかし、その遠い道は、いつもいちばん手近の第一歩からはじまっているのだ。」
青空文庫 図書カード:No.50009
作品名: 料理の第一歩
作品名読み: りょうりのだいいっぽ
著者名: 北大路 魯山人
http://www.aozora.gr.jp/cards/001403/card50009.html
サンヨーの「小麦ゼロ米粉ミックス粉」が廃版
パナソニックに買収された弊害なんでしょうね。仕方がないとあきらめてましたが、対策を考えてくれているお店があったんです。アレンタウンというお店です。
「本商品は、サンヨーの「小麦ゼロ米粉ミックス粉」が廃版となったため、旧サンヨー(現パナソニック)と協議し、従来の「小麦ゼロ米粉ミックス粉」と全く同じ原材料・配合で、同一の工場で製造された完全な同一商品で、当店のみでの販売となります。」
米粉パン用 小麦ゼロ米粉パンミックス粉 3袋セット [2.7kg] 2,000円 (税込 2,160円)
http://www.allentown.co.jp/SHOP/FKN003.html
ハードディスクの中身を消してしまった場合
稀に間違えてハードディスクの中身を消してしまうことがあり、稀なので使う道具を忘れてしまい困ることがあるので備忘録。
やってしまった内容別に2種類
デフラグツールなど出しているPiriform社のRecubaというツール。
ファイルを消してしまった場合やパーティションをフォーマットしてしまった場合に便利。無料版があり他社の有料版と遜色はない。
スキャンに時間がかかるが仕方がない。
Recuba
公式サイト
https://www.piriform.com/recuva
窓の杜
http://www.forest.impress.co.jp/library/software/recuva/
こちらはLinuxベースの復元ソフト。
パーティションを開放してしまった場合に便利。パーティション自体を復元してくれるためファイル単位で復元するような面倒さは無い。
かなり前に使った記憶があるが高速だったと思う。
英語を読みながらやっても出来ると思うが、使い方を紹介しているページも2つ。
TEST DISK
公式のダウンロードページ
http://www.cgsecurity.org/wiki/TestDisk
TEST DISKの使い方を紹介しているページ
http://pctrouble.lessismore.cc/software/testdisk.html
http://uiuicy.cs.land.to/testdisk1.html
「もしもマイクロソフトが自動車を作ったら」というジョーク
いつのころなのか忘れましたが、面白いジョークがありました。
ビルゲイツの発言に対してGMがコメントしたというスタイルをとっていますが、真偽のほどはわかりません。備忘録代わりにコピペしておきます。
かつてビル・ゲイツはこんなことを言ったそうです。「もしGMがコンピューター業界のような絶え間ない技術開発競争にさらされていたら、私たちの車は1台25ドルになっていて、燃費は1ガロン1000マイルになっていたでしょう。」
これに対し、GMは次のようなコメントを出したと言われています。「もし、GMにマイクロソフトのような技術があれば、我が社の自動車の性能は次のようになるだろう。」
1.特に理由がなくても、2日に1回はクラッシュする。
2.ユーザーは、道路のラインが新しく引き直されるたびに、新しい車を買わなければならない。
3.高速道路を走行中、ときどき動かなくなることもあるが、これは当然のことであり、淡々とこれをリスタート(再起動)し、運転を続けることになる。
4.何か運転操作(例えば左折)を行うと、これが原因でエンストし、再スタートすらできなくなり、結果としてエンジンを再インストールしなければならなくなることもある。
5.車に乗ることができるのは、Car95とかCarNTを買わない限り、1台に1人だけである。ただその場合でも、座席は人数分だけ新たに買う必要がある。
6.マッキントッシュがサンマイクロシステムズと提携すれば、もっと信頼性があって、5倍速くて、2倍運転しやすい自動車になるのだろうが、全道路のたった5%しか走れないのが問題である。
7.オイル、水温、発電機などの警告灯は「general car fault」という警告灯一つだけになる。
8.座席は、体の大小、足の長短等によって調整できない。
9.エアバッグが動作するときは「本当に動作して良いですか?」という確認がある。
10.車から離れると、理由もなくキーロックされてしまい、車の外に閉め出されることがある。ドアを開けるには、ドアの取ってを上にあげる、 キーをひねる、ラジオアンテナをつかむ、という操作を同時に行う。
11.GMは、ユーザーのニーズに関わらず、オプションとしてRand NcNaly(GMの子会社)社製の豪華な道路地図の購入を強制する。もしこのオプションを拒否すると、車の性能は50%以上も悪化する。そして司法省に提訴される。
12.運転操作は、ニューモデルが出る毎に、はじめから覚え直す必要がある。なぜなら、それ以前の車とは運転操作の共通性がないからである。
13.エンジンを止めるときは「スタート」ボタンを押すことになる。
14.ドライバーは運転席に座るのではなく、装着(インストール)させられる。
15.「この車を利用しておきたいかなる場合の障害、損害に対してもGMは責をおわない。」という契約に同意した場合のみ、このドアの封印をやぶってください、となる。
16.車がいつどこで突然とまろうが、暴走しようが、はたまた雨漏りしようがそれらは「仕様」である。
フリーのNTPクライアント
面白いネーミングだがNTPのサーバとクライアントのフリーソフト。
多数のNTPサーバをラウンドロビンで使ってくれるので相手方への負荷も少ないようだ。
サーバを立ててNTPサーバとして動かすことも出来る。
iネッ時計
http://pino.to/ntptools/
実は、古いWindowsサーバの時計が狂いすぎるため探して見つけた。
15分に一度時計合わせをしてなんとか凌いでます。
金をかけれないって悲しいですね。。。
リドリースコットも年ですね
リドリースコットは1979年の「エイリアン」、1982年の「ブレードランナー」などで有名な監督だが、その30年後に監督した2012年の「プロメテウス」では酷いありさまだった。映像はそこそこ良いのだが、基本的な「常識」とも「現実」とも言える部分が欠落していた。
未知の惑星で大気の簡単な分析だけでヘルメットを外す。未知の生物の死骸を隔離せずに宇宙船内に持ち込み素手で触る。未知の生物が近寄ってきているのに逃げようともせず、構えることもない。
現代の巷に居るヤンキーが登場人物でもあり得ない状況を設定している。そこまで見てやめました。どんな結果が訪れるか興味が失せました。おそらく都合のいい劇的なラストが待っているのでしょう。
リドリースコットは当時75歳。年なので監督という名目で細部は若手に任せていたのだろうが、その若手のレベルが低すぎる。科学的な側面のアドバイザーを置いてでも、基本的な「現実」の部分の検証を行わなくては「SF」という大きな「虚構」は成立しないのですよ。
試しにWebで批評を探したら悪い評価しかなかった。
でもみんな最後まで見たようですね。私は耐えられずに途中でやめました(笑)