台湾の南部の町を訪れる前に今に至る台湾の歴史というか経緯を知りたくて司馬遼太郎の本を選んだ。司馬遼太郎「街道をゆく 40 台湾紀行」だ。
恥ずかしい話、司馬遼太郎の作品は読んだことが無いと思う。歴史ものを私はあまり好きでなかった。彼は元新聞記者であり、小説家でノンフィクション作家だった。
ある逸話がある。司馬遼太郎はテーマを決めるとそれに関する書籍を大量に集めて調べる。軽トラックで神田の古書店の本を買い漁ったそうだ。ある時井上ひさしが資料を仕入れに古書店へ行ったところ、運悪く司馬遼太郎とテーマが被っていたため古書店から本が消えていたそうだ。この紀行の中でもホテルで資料を取り寄せたりして調べている。それくらいに徹底的に調べるらしい。そこには歴史書や紀行文などもあるが、その地の学校の同窓会誌なども含まれる。
司馬遼太郎が書く紀行文は土地の歴史を「人」から読み解く。「何年に誰が何をした」という歴史の表面ではなく、どういった人生を送ってきた者が何を考えて何を行ったかを書いている。事として見ることと違いは大きい。
日本は50年に渡って台湾を占領していた。その間を「日本統治時代」あるいは略して「日本時代」と呼ばれる。
この時代に日本に渡った台湾人や台湾に渡った日本人の人生を絡めて台湾の日本時代を説明している。歴史的には単に「日本が台湾を占領していた」だが、そこには人の営みがあり人生が有った。その辺りを知ると歴史というものが現実味を帯びてくる。そこには司馬と同世代の人が生きていたことや、知人にも多く関係があったことも大きいのだと思う。
私は学校で習った「歴史」が嫌いだった。「何年に誰が何をした」だけの内容で薄っぺらだったからなのだろう。ただの暗記科目には興味が無かった。若いころの私も小説のように人が何を考えどう生きて何を行ったかという物語の方に興味があった。
この本を読み終わって意外な発見があった。小樽港の防波堤を作った広井勇先生(私が最も尊敬する技術者だ)が東大の教授になった頃の教え子の一人が嘉義と台南の中間あたりひ烏山頭水庫というダム湖を作り台南の農業の発展に寄与し、亡くなった今も慕われている。日本人技師の八田與一という方だ。その方の生き方を読むと確かに広井勇先生の教え子だと納得出来た。八田に関する逸話も沢山残っている。頼清徳総統が副総統時代に八田與一氏没後82年の慰霊祭で八田與一への感謝と台日の友好関係について語っていた。
この本の中にはそのあたりについて書かれた本の名前がいくつか出ているので次はその辺りを調べてみたい。
