前にも書いたと思うが、台湾に行くと日本人を大切にしてくれていると感じる。何でもそうだが相手によってはそうでない場合もあるのは確かだが。
YouTubeの番組で何カ国かの若者がテーマに沿って話し合うものがあって、その中で台湾の人が日本に対して好感を持つ理由を台湾の女の子が説明していた。大きく分けて3つの理由を挙げていた。
1つ目は台湾を初めて統治したのが日本であったこと。
2つ目は日本統治時代に数多い施設設備を作り残してくれたこと。
3つ目は日本が台湾を手放した後に来た中華民国が統治した時代があまりにも酷かったこと。
その3つを実例を挙げて説明していた。確かによく調べたなと思ったが足りない部分や私なりの考えを書いておこうとこれを書いている。
台湾を日本が統治する以前の台湾は数多くの種類の「原住民」1がバラバラに住んでいた時代を経て、ヨーロッパの国々が足掛かりとして滞在し部分的な支配を行っていた時期がある。台湾人の女の子の言葉を借りると「パーキングエリア的に使っていた」だ。その頃の17世紀にオランダの東インド会社を駆逐し、台湾統治の基礎を築いた「鄭成功」が居るが、台湾独自の政権を打ち立てて台湾開発を促進する基礎を築いている途中で亡くなっており、今でも鄭成功は台湾の英雄として名を残している。母親が日本人で長崎に近い平戸の人らしい。今現在でも子孫の方が日本に住んでいて、朝ドラ「風薫る」のシマケンこと島田健次郎のモデルとなっている方も鄭成功の子孫らしい。
その後、日本は清国との日清戦争で勝利し台湾を日本の領土とした。この後の日本が台湾を統治した時代を台湾では「日本統治時代」あるいは「日本時代」と呼ぶ。ここで言う「統治」はヨーロッパ各国が占領し植民地化した国のように搾取の対象として支配したのではなく、台湾が自立出来るように衛生面の整備を行なって疫病を駆逐し、農業・産業を振興してきたことが特徴だ。都市部の上下水道の整備、台湾を南北に貫く鉄道や港湾の整備に伴う工業の普及、ダム建設による農業用水の確保、農業指導などによってサトウキビの品種改良や栽培技術の向上が進められ、台湾の近代化の足掛かりとなった。
第二次大戦で日本が負け台湾を手放すこととなり、当時の中華民国が大陸から台湾に大挙して流れ込む。当時を知る人はその軍隊の姿の異様さに息を飲んだという。戦勝国でありながらボロボロで統制もとれず勝手に歩き回る軍隊の姿に。このボロボロな軍隊が象徴する中華民国が台湾社会を蝕むこととなる。「犬去りて豚来たる」とい台湾の言葉がその状況をよく表している。犬は煩いが守ってくれる。豚は食うだけ食って何もしない。この豚が食うのは台湾の人々が必死に作るもの全てを食い漁るのだ。
台湾人の蔡焜燦さんが書いた「台湾人と日本精神」という本がある。副題の「日本人よ胸を張りなさい」という言葉にも表れているが、この本に贈られた文章の言葉をお借りすると「親日家」などではなく「愛日家」というくらいに日本を愛してくれていた方だ。この本を読むと日本時代の始まりから終わりまでを台湾人の目で見た日本を知ることが出来る。余談ではあるが司馬遼太郎さんが台湾について書いた紀行文に蔡焜燦さんが登場していて、実際に台湾での案内をしてくれた方なのだ。司馬遼太郎さんの「台湾紀行」と蔡焜燦さんの「台湾人と日本精神」を読むと台湾人と日本人の関係や、欧米の植民地と台湾での日本の統治の違いが分かると思うし、なぜ日本のことを好いてくれているかが理解できると思う。
また、台湾を統治していたのは日本と中華民国であって中華人民共和国は一度も台湾を統治したことはない。台湾に向かって「一つの国」と中国(中華人民共和国)は言うが実際の歴史を無視した言いがかりでしかないのである。1952年のサンフランシスコ平和条約で日本は台湾の領土権を放棄したが、帰属先は明記されず、中華民国が来て占領してしまったのが実際の歴史なのだから。
- 「原住民」という言葉は差別的に聞こえるが、台湾の先住民の人たちは「原住民」と自分たちを呼んでいる。16部族62万人ほど。 ↩︎
